わたくし、これから暴れます。in Russia |
更新をしないまま、いつの間にか日本に帰ってきました。笑
いろいろな人が見てくれていたようなので、少しその後の出来事を報告します。 まず、ロシアから。 モスクワは夏になった。 モスクワの夏は、地上の楽園のごとく最高で、冬を越えたロシア人たちは、精神的タガが外れ、財布の紐はゆるみ、ウォッカはビールに、道ではバイクが暴走しまくる。 そうやって、みんなバカになる。とんでもないバカになる。 本当に見てて分かるくらい、硬く引き締まった顔が、しまりなく弛緩した表情になってて、気持ち悪いやら、楽しいやらで、昼間はピクニックと称して飲みに出かける。 特に白夜というのは厄介。遊び終わるタイミングが計れなくなるからだ。 仕事や学校が終わってから飲みに出かける人々。 1杯飲み、休息。 2杯飲み、団欒。 3杯飲み、談笑。 4杯飲み、下ネタ。 5杯飲み、爆笑。 6杯飲み、悪口。 7杯飲み、喧嘩。 8杯飲み、乱闘。 9杯飲み、融和。 10杯目飲み、勘定。 金額を見て、喧嘩。 全く終わる気配がしない・・・ それもそのはずだ。俺がいた6月で日が落ちるのは10時。 感覚としてはずっと夕方。というわけで、ひたすら飲みまくる。 帰りは誰かかれかまわず、絡みまくる。 道では衝突事故。 混沌と平和と馬鹿笑いが混じるモスクワの夏。 本当に最高だった。 そして、帰国。 帰国間際、勉強で死ぬほど忙しかった。 僕は交換留学。つまり留学先で取った単位を本学の単位に変換できるし、留年せずにすむ。 僕の場合、ゼミの関係でどうしても専門の単位が4単位分必要だった。 専門は国際政治。 ロシア語で国際政治の専門用語を駆使しながら、国際関係について講義を受ける。 全くもって、ちんぷんかんぷんである。 しかし、問題は試験。 学期末試験はもちろんロシア語で行われる記述式のペーパーテスト。 どうしようもないので、先生に直談判しに行った。 「ムリなんで、レポートにしてください。」 なんとOKが出た。 しかし、テーマは難解、枚数は7枚以上、参考文献は3冊。 というわけで、2週間缶詰になった。 まずは、参考文献を読み、テーマを理解する。 その後草稿を練り、いざ書き始める。 そのときは、死に物狂いだった。 飯は1日1食で、後はレッドブルを大量に買ってきて、眠くなったら飲みまくっていた。 おかげでタバコの本数も見る見る増え、寮監にばれないようドアは2重に鍵をして、つっかえぼうを用意した。 そんなこんなで、何とか書き上げ提出。 嬉しいことに、そのペーパーを先生は褒めてくれ、95%、Aをくれた。 何事もやってみるもんである。 というわけでミッションコンプリートで残すは無事に帰国するだけ。 最後はみんなに気持ちよく挨拶して、立ち去った。 ヘンリーの帰国や父親の訪問など、様々な珍事があったが、それは気が向いたらおいおい話すこととして。 とにかく今はすっかり日本に落ち着いて就職活動をしている。 モスクワの思い出は、思い出そうとしてもなかなかパッとは浮かばないが、風化したわけではない。 確かに、あのときの必死さや、辛さ、その時に突き詰めて考えたことは今ではもうないけれど、 ふとした瞬間にふっと湧いてくる。 例えば、よく向こうで聴いていたclammbonの曲を聴くと、 毎晩ヘンリーとタバコを吸いに出たバルコニーからの光景が目に浮かぶし、においや感覚も戻る。 そうやって唐突に思い出に揺さぶられると、なぜだか胸がいっぱいになってしまう。 モスクワにいたころは、物理的な距離をそこまで感じなかったが、今になるとその遠さがよく分かる気がするのだ。 1年間の歳月とそれを支えてくれたすべての人に感謝しながら、 次になにが起こるんだろうと今は期待でいっぱいである。 ロシアへ愛をこめて。 P.S. 結局酒には強くならなかった笑
by glbee
| 2011-09-03 02:09
| 生活
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